東京大空襲から71年

 昨日(2016/3/10)で東京大空襲から71年になるそうだ。
www.huffingtonpost.jp


 東京生まれでも東京育ちでもなく、私には義務教育で習った以上の知識は無いのだが、Wikipediaによれば、
東京大空襲 - Wikipedia

当時の警視庁の調査での被害数は以下の通り。
 死亡:8万3793人
 負傷者:4万918人
 被災者:100万8005人
 被災家屋:26万8358戸
人的被害の実数はこれよりも多く、死者約8万-10万、負傷4万-11万名ともいわれる。上記警視庁の被害数は、早期に遺体が引き取られた者を含んでおらず、またそれ以外にも行方不明者が数万人規模で存在する。民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われており、単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大である。両親を失った戦災孤児が大量に発生した。外国人、および外地出身者の被害の詳細は不明。

という莫大な被害だったそうだ。
 

 この東京大空襲の犠牲者への鎮魂の想いを込めた「白色のライティング」が東京スカイツリーで点灯した。
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 東京スカイツリーが634mの高さであることはよく知られているが、当時の爆撃機B-29はそのはるか上空を飛行していたようだ(現代の旅客機の巡航高度が概ね10000m程度と言われている)。

1945年2月26日から28日までの時期のB-29による東京空襲は、昼間に8000メートル程度の高高度

「ミーティングハウス2号作戦」と呼ばれた1945年3月10日の大空襲(下町大空襲)は、高度1600–2200メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。

 当時だろうと現在だろうと、そんな高いところから爆弾落とされたら、個人レベルではどうにもできないだろう。

焼夷弾は建造物等の目標を焼き払うための兵器だが、この空襲で使われた焼夷弾は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため、避難民でごった返す大通りに大量に降り注ぎ子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部・首筋・背中に突き刺さり即死させ、そのまま爆発的に燃え上がり周囲の人々を巻き添えにするという凄惨な状況が多数発生した。また、川も水面は焼夷弾のガソリンなどの油により引火し、さながら「燃える川」と化し、水中に逃れても冬期の低い水温のために凍死する人々も多く、翌朝の隅田川・荒川放水路等は焼死・凍死・溺死者で川面があふれた

 このような惨劇は繰り返してはいけない。東京大空襲から71年、それはすなわち、日本では空から爆弾が降ってこない程度に平和な社会を維持し続けて71年、ということを今のところ意味している。親世代から引き継いだその記録を伸ばしつつ、次世代に引き継いでいきたいものである。




以上。