1994年のスマートウォッチ

 2015年4月、Apple Watchが発売された。これは一般名詞としてはウェアラブル・コンピュータ(身に着けられるコンピュータ)であり、その中でもスマートウォッチと呼ばれる製品である。スマートフォンが賢い電話なら、スマートウォッチは賢い腕時計とでも日本語訳すればよいだろうか。一般紙やテレビなどでも報道されていたため、特に興味が無くてもそのニュースを目にされた方も多いのではないだろうか。

 ところで、スマートウォッチは最近になって突然生まれたわけではないことはご存じだろうか。スマートウォッチの定義如何によって元祖スマートウォッチがどの製品に該当するか定かではない。が、それに近しい製品を使用していたので、紹介したいと思う。

 話は現在から20年以上前の1994年まで遡る。この年、アメリカの腕時計メーカーTimexがDATA LINK watchをリリースした。当時はスマートウォッチという言葉は無かったが、スマートウォッチ(のご先祖様)と言っても差支えない製品だと思う。

 今では想像もつかないことだが、当時のAppleは赤字企業であったし、Googleは創業前で存在すらしていない。MicrosoftはPC普及の起爆剤となり大ヒットすることになるWindows 95の発売以前で、MS-DOS 5.0やWindows 3.1辺りがメインストリームだった頃である。携帯電話の世界では、国産技術の粋を極めたPDCの時代で、3Gはもちろんi-modeも存在しない。まだアナログ携帯電話すら並行稼動していた時代である。このような時代背景で、スマートウォッチを製品化したのは先見の明があるというか、色々な意味でぶっ飛んでると言えるのではないだろうか。

 初代DATA LINK watchはmodel 50と呼ばれ、下記画像がそれである。なお、Microsoftのロゴから察せられるかもしれないが、TimexMicrosoftによる共同開発である。

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 単なる安っぽい腕時計にしか見えないが、普通の腕時計では実現できなかったことが、model 50では実現した。DATA LINKの名が示す通り、PCと繋がるのだ。

 PCと繋がるとは言え、当時はWiFiBluetoothといったワイヤレス規格は存在しない。最近見かけなくなったIrDA(赤外線)は1年前の1993年に制定されたばかりで、搭載製品は殆ど存在しなかった。有線接続にしても、USBは存在しない。当時を知る人ならばシリアルポート(RS-232C)だとかパラレルポートで接続していたのでは?と思われるかもしれないが、この製品についてはそれも違う。正解は、CRT(ブラウン管モニタ)で通信するのだ。

 CRTで通信と言われても、意味が解らないと思う。この写真では見づらいが、スマートウォッチの上部、丁度Microsoftロゴの上辺りに、丸い物体が確認できるだろうか。これは光学式センサであり、データ受信用のキーデバイスとして機能する。PCで本製品専用の送信ソフトウェアを実行すると、送信データに応じてCRT全面が白または黒で表示・点滅される。光学式センサがその明暗を検出し、バイナリデータを受信する仕組みである。あくまでも腕時計であることから、防水性を損ねる端子類は配置したくないが、汎用的な無線通信技術も存在しない。そういった状況下でこの力技ユニークな通信方法が編み出されたのではないかと察する(ちなみに当時のLCDでは応答速度が満たないのか、白黒の輝度差が足りないのか、データ送信に用いることはできなかった)。

 ここまでして実現させた通信方法で何が転送できたのかと言えば、基本的には電話帳だけである(※スケジュールも転送出来たような気もするが記憶が定かではない)。アプリケーションを任意に追加することなどは勿論できない。model 50には約50件の電話帳をメモリできた。現代人から見れば、携帯電話の電話帳機能で代替可能と思われるだろうが、そもそも携帯電話が個人用途では普及していない時代である。外出先では紙の手帳を見ながら公衆電話を使うのが一般的だった時代に、PCで管理している電話番号が腕時計で確認できる。これはまさに賢い腕時計であり、革命的と言ってもそれほど大袈裟ではないだろう。

 だが、革命は広まらなかった。先述の通り当時はWindows 95発売以前であり、データ転送元となるPC普及率が著しく低い。さらに、これから普及し始めるPHSや携帯電話には当然のように電話帳機能が付いていたのだから、大多数の人からは必要とされなかったのだろう。

 後継のDATA LINK watchがどの様な進化を辿ったのかは、あまり知らない。英語版Wikipediaによると、後継製品はメモリ容量の拡大や、USBアダプタへの対応、Wrist appsと呼ばれるアプリの追加が可能となるなどの進化を遂げていたようである。

 

 model 50の登場から21年もの歳月を経て、Timexと同じくアメリカのAppleApple Watchをリリースした。著しく技術は進歩し、これらの製品を比較するのは残酷とさえ思える。だが、革命に失敗したチャレンジングだったmodel 50とその開発者達に敬意を表し、恣意的な比較表を載せて本エントリを終わりたい。この間、日本企業は何をしていたのか。それはまた別のお話。

 DATA LINK watch model 50Apple Watch
製造元 Timex Apple
発売年 1994 2015
バッテリ ボタン電池(ユーザ交換可能) リチウムイオン電池(ユーザ交換不可)
バッテリ駆動時間 約2年 最大18時間(省電力モード時:最大72時間)
価格 資料無し(Apple Watchより安い) 42800円~