火星で初めて録音された音声が公開された

 複数のメディアで報じられていますが、NASAの火星探査ローバーPerseverance*1が初めて火星で録音した音が公開されました。NASA公式では以下のプレスリリースが発表されています。
www.nasa.gov
 

どんな音?

 前掲のNASAのプレスリリースより引用すると以下のように説明されており、火星のそよ風(Martian breeze)が数秒聞こえ、地上のローバーの機械の動作音も聞こえると書かれています。

About 10 seconds into the 60-second recording, a Martian breeze is audible for a few seconds, as are mechanical sounds of the rover operating on the surface.

 プレスリリースではSOUNDCLOUDにアップロードされた音声データがダウンロードできるようになっています。ダウンロードできる音声は"Sounds From Mars: Includes Rover Self-Noise"、"Sounds From Mars: Filters Out Rover Self-Noise"の2種類あり、前者がローバー自体のノイズを含んだ音、後者がローバーのノイズをフィルタで除去した音となっています。
 

分析してみる

 音質に対するこだわりが皆無のビジネスノートPCであるLet'snoteで再生したところ、ローバーのノイズ有りの方はノイズが聞こえますが、ノイズをフィルタリングした方は何も聞こえませんでした。
 音量最大にして再生してみたところ開始後3.5秒位に一瞬音が聞こえます。楽器音で例えるならハイハットのような音に近く、金属がぶつかったような音です(恐らくこれもフィルタリングしきれなかったローバーの動作音でしょうかね?)。それ以外はローバーのノイズとは異なる類のノイズがかすかに聞こえるだけです。「火星のそよ風」とは一体?と、気になったので分析しました。
 

音声データフォーマット

 ダウンロードできる2種類のファイルは共に、サンプリング周波数48KHz、量子化ビット数16bit、2チャネル(ステレオ)のWAVファイルです。両ファイル共にステレオ形式ですが、両チャネルとも完全一致する波形が記録されており、ローバーが火星でステレオで収録したわけではなく、NASAが公開用に加工した段階で無駄にステレオになっているのであろうと考えられます*2
 

スペクトログラム(フルレンジ)

 サンプリング周波数48KHzですからナイキスト周波数24KHzまでの全周波数成分を経時的にプロットすると以下のようになります(ローバー自体のノイズ有無をGIFアニメで表示しています)。

f:id:kachine:20210224191227g:plain
スペクトログラム(フルレンジ)

 約3.5秒あたりに縦線が見えますが、これがハイハットのような音の正体です。他に見えるのは、スペクトログラムの最下部にほぼ常時黄色く見える強い成分の存在ですが、これが「火星のそよ風」なのでしょうか。最下部に張り付いて良く見えないので、詳細な成分を追ってみます。
 

スペクトル分析

 2ファイルそれぞれの波形全体のスペクトルをプロットすると、以下のようになります(こちらは横軸は同じですが縦軸が5dBほどズレているのでGIFアニメ化していません)。

f:id:kachine:20210224191954p:plain
1st Sounds from Mars_includes rover self-noise
f:id:kachine:20210224192032p:plain
1st Sounds from Mars_filters out rover self-noise

 ざっくりと8Hz~300Hzまでがローバーのノイズフィルタリング後に残されていることが判ります。31Hzをピークとする大きな塊と、223Hzをピークとする小さな塊の存在が確認できます。この辺りの周波数を拡大してスペクトログラムを改めてプロットしてみます。
 

スペクトログラム(DC~250Hz)
f:id:kachine:20210224193011g:plain
スペクトログラム(DC~250Hz)

 ざっくりと20Hz~50Hz辺りの信号強度が強く、経時的変化も確認できます。
 この不規則な経時的変化が(すなわち人工的ではないので)「火星のそよ風」たる所以なのでしょう!*3
 

蛇足

 地球上の音速はほぼ温度に依存して僅かに変化することが知られていますが、火星はどうなんでしょうか?そもそも地球のような空気が無く大気成分が全く異なるので、地球とは音速が違うのは当然予測できますが。適当に検索してみると、火星の音速は地球の約3/4のようです。
火星探査航空機の飛行制御システムの構築(PDF)
 ところで、高校物理で習う式にv=f\lambdaがありますが、これは音速と周波数と波長の関係性を示せます。例えば、ギターのような弦楽器は波長を制御して所望の周波数を間接的に得る機構ですが、地球でチューニングしたこれらの楽器を火星に持ち込むと(輸送時の衝撃等でチューニングが狂うことはないと仮定して、)どうなるでしょうか。火星の音速が地球の3/4であるならば、地球でチューニングした楽器を火星に持ち込むと周波数も3/4倍(=0.75倍)になってしまうはずです。すなわち、1オクターブ下がると周波数は元の半分という関係性から平均律で考えると、\left(\frac {1} { \sqrt[12]{2} }\right) ^5 \fallingdotseq 0.75ですから約5半音下がった音になってしまうわけですね。現地で波長が4/3倍になるようにチューニングできれば、元の周波数に戻りますがチューニングの可変幅が狭い物理的構造の楽器は火星モデルが必要になるのかもしれません。
 他方、シンセサイザーのように所望の周波数を直接的に得る楽器の場合、波長が3/4倍になるわけですが、その場合どうなるのでしょうかね?本格的なスピーカーの構造は波長を意識したものになっていますから、地球上とは鳴り方が異なるであろうことは予想できますが、それがどんな音になるのか、ちょっと想像もつきません*4
 などと考えていると、自分とは関わりない遠くの火星の話でも身近に感じられて面白いですね!
 



以上。

*1:パーサヴィランスとカタカナ表記されることが多いようですが、英語の発音的にはパーシヴィランスの方が近いと思います。

*2:蛇足ながら、これらのWAVファイルはAdobe Premiere Pro 2020.0 (Macintosh)で書き出されたことがメタデータより明らかです。

*3:蛇足ながら、日本の環境省によれば国内では1~100Hzの音を低周波音と呼ぶそうなので、低周波音が苦手な人にとっては「火星のそよ風」は不快な音かもしれません。 よくわかる低周波音(PDF)

*4:適当な筐体にスピーカーユニット詰め込んだだけの安価なスピーカーと、高級スピーカーの差のようなものでしょうかね?